社会人一年生
広東編
「世界の工場」の現場で社会人デビュー
小学校から高校まで、全く中国語に
触れることなく、日本で就職することなく
いきなり中国へ渡る。
当時、中国で働けるとは、全く考えていなかった。
ただ、夢でしかなかった。
早川陽一さん
京都府出身。
奈良育英高校卒業後、湖北中医学院へ。
武漢で6年間学習し、01 年6月より現在の会社に
勤務。
日本で就職経験のまったくない私でしたので
本当に雇ってくれる会社があるか
どうか正直不安はありました。
人材紹介会社では、希望給料はいくらくらいですか?
ときかれ8千元=12万と答えてしました。
人材会社の人は、
もう少し高くても大丈夫ですよ。おっしゃっていました。
その後、私は一ヶ半かけて10社を回りました。
始めの面接は、台湾系の会社で電気コードを
作っている工場でした。
面接が終わってから、ご飯食べに行きましょうか?
と向こうはもう決めている様子。
どうしても医療系の仕事がしたかったことと
給料が一万元と安かったので、やっぱりいくのはヤメて
他を探すことにしたのですが、
数社面接を受けて全く音沙汰なしでした。
友達のすすめで
面接の作戦をかえることにしました。
自分の長所をアピールしようと
決めて臨んだ最後の会社で、
すこし演技しすぎがなと思いましたが
面接のできは上々。
向こうの社長さんからも、よろしくねと言われて
やった!ついに仕事ゲット。
当時は2002年で、今ほど中国で、日本人の人材への
需要がなかったときで、
税金も自分持ち、部屋代手当が出ても
1300元弱の給料でした。
それでも、初めての就職で、私は満足していました。
聞くところによると、広東での就職は
北京や上海よりも、お給料が高いそうです。
安く言ってしまったみたいです(笑)。試用期間終了後に1万2,000元に上げてもらい、今は満足できるそこそこのお給料をもらっています。広東省の現地採用者の待遇は、上海や北京よりもいいと思いますよ。
工員500人の玩具・雑貨工場での生産管理がわたしの仕事です。ある大手おもちゃメーカーの人気ブランドを主に担当していて、部材の手配から生産、出荷までを見ています。2、3カ月ごとに5種類ほどの新商品が立ち上がるので、新商品の場合はそこにサンプル作りという過程が加わって、金型作りから入るときもあります。こちらが思うようには工員さんが動いてくれないこともあるし、あり得ないはずのミスも起きる。でも納期には間に合わせなければならなくて、毎日慌しく時間が過ぎて行きます。
ここで社会人としてのスタートを切ったので、分からないことだらけでした。生産現場というのももちろん知らない。でもいきなり中国人を管理する立場に置かれて。自分の立場を理解するまでに時間がかかりましたね。24歳のわたしが、母親に近い年齢で、経験のある中国人をも管理していかなければならないんですから。すぐ下にいた中国人女性はそれは口の達者な人で、大声で言い合いをしたこともありますが、次の日にはいつもと変わらない態度で接してくれる。引きずらないというか、中国人のそういう大らかさは良いところですよね。
わたしに非があれば中国人のスタッフからここぞとばかりに指摘されるので、彼女たちに責められないように頑張ってきました。そのおかげで仕事を覚えることができたんだと思います。
職住接近、同僚・上司は家族同然
会社から寮までは徒歩3分。朝9時に出勤して、夜は大体8時、9時くらいまで会社にいます。残業が必要な時は12時になることもあり、休みは日曜だけです。日本人はこの工場に6人、香港オフィスに1人います。董事長(会長)以外は、総経理(社長)、金型技術者、わたしのような生産管理まですべて現地採用者です。
寮には食堂があって、日曜と土曜の夜以外の昼食・夕食は賄い付きなので、仕事が終わって同僚と一緒にゴハンを食べて、少しお酒を呑むと11時くらい。広東省の工場で働く人はみなこんな感じで、朝から晩までずっと同僚や上司と一緒ということになります。家族のようなものですね。これを窮屈だと嫌う人もいるようですけど、わたしは楽しくやっています。
食事の時は仕事の話はやめようと上司は言うんですが、いつの間にか仕事の話になっていて(笑)。上司の話を聞けば視野も広がるし、これも勉強のチャンスだと思っています。
広東省の工場で働く場合は、わたしもそうですが、寮費も食費も会社負担。ウィークデーに使うのは、朝食代くらいです。
香港へはKCR(九廣鉄路)で約40分。何かあったときには、すぐに香港へ行けるという安心感はありますね。一昨年、市内にもジャスコができたので、香港へ買出しに行く必要もなくなりましたけど、それまでは香港からの帰りは両手いっぱいに買物袋を抱えていました。今は、友人に会いに行ったり、美味しいものを食べに、月に1、2度行っています。
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